国連が本年3月に発表した2020年版「世界幸福度報告」では、フィンランドが3年連続で首位に。一方で日本は62位だった。

17年の51位から3年連続で順位が後退する日本で、近年、特に評判が低い項目が「寛容さ」。

その要因について、桜美林大学の山口創教授は「人のつながりが少ないこと」を挙げる。

人とつながることは幸福感に必要不可欠の要素であり、反対に「孤独は心と体の健康にとって最大の敵」と指摘する。

孤独を回避するには、たまに会う遠くの友よりも「身近な人に目を向けて交流することが必要」と山口教授は強調する。「色々なことを気兼ねなく話し、大変なときはすぐに支え合うことができるような密な関係が求められている」と。

(引用:『手の治癒力』草思社)


「寛容さ」といえば、先日の記事に掲載させていただいた、地球憲章インタナショナル(ECI)のミリアン・ビレラ事務局長が挙げられている、平和へ向けた善意行動のひとつである。

今回は、平和と幸福が一体であるとした当ブログの後述として、ビジネスと心について綴らせていただく。


いま日本社会で幸せに生きることを望むのであれば、冒頭の引用にあるように、個人が寛容な心で社会とつながっていく事が重要である、それがひとつの結論であろう。


寛容さが欠如した生活、つまりそれに相対する「狭量」な個人の生き方とは、助け合い、学び合い、信頼の構築を、ごく限られたコミュニティで行う生き方である。

例えるなら、私はこれまでの成長過程において、多くの人と会い、その中で多くの教養を磨き、それが自身の財産になると教育された。

それは私だけではなく、一般的な道徳の世界で教わる一般的な事柄であると、私は思う。


では、なぜ日本社会は狭量な生き方が多く見受けられるのだろうか。

「幸福度」と「社会との関わり(社会的コミュニティ)」との密接な相互関係を前提とすれば、個人、つまり私たち日本人が、利己主義、過剰な経済主義に傾向しているからではないだろうか。

そして、そこには区別ならぬ差別的視点が存在すると、私は感じてやまない。


インバウンドや外国人労働者が必要となる現代において、グローバルな心構え(グローバルコミュニティ)が必要であると言われて久しいが、いま社会活動で必要とされるのは、まずは個人と第三者の区別を行い、その区別した人間的項目(出身、趣向、人種などの人格的差異)を受け入れ、第三者から何かを学び取る向上心(非差別的区別)が必要なのでないか。


資本主義、経済主義が熟成期の現代であるからこそ、社会主義の過去に学び、地域のコミュニティを自助努力で広げることが、商売繁盛、つまり豊かな経済成長に至らせる。

何かあれば助けてくれる近隣の友人がいれば、どれほど心強いだろうか。

その結び付きが人生を豊かにし、社会の幸福を築く。


クライアントとクライアントを繋げゆく、豊かな将来をそう描き、私も進み続ける。

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